2020年の大河ドラマは、「明智光秀」を主役とした、『麒麟が来る!』、である。
これまで「明智光秀」といえば、天下統一を目前にした主君・織田信長を、「本能寺の変」にて討ち果たした「日本一の謀反人」のイメージが強く、多少は多面的な描かれ方をされるようになったとはいえ、久しく「大悪人」というレッテルを貼られてきた。
それが、「大河ドラマの主役」に抜擢されるようになったのであるから、「時代の変遷」を感じずにはいられない。
それでは、いざ「明智光秀」という人物を追いかけようとすると、これが非常に謎の多い男である。そもそも、彼のレッテルを決定的にした「本能寺の変」の原因について、今なお明確な「答え」が出ていない。
この『本意に非ず』は、光秀が「本能寺の変」を引き起こすことになった原因について、ひとつの見方を持って鋭く切り込んでいる。
ながらく「時代小説」の第一人者として活躍してきた筆者ならではの筆致で、「悪人・明智」ではなく「人間・光秀」が、謀反に至らざるを得なかった、その行程を浮かび上がらせているのである。
他にも、「松永久秀」「伊達政宗」など、戦国時代や歴史のファンであれば必ず名前を知っていて、一定のイメージも刻み込まれているひとかどの「曲者」たちについて、その知られざる葛藤と苦悩が、あたかも紙面から滲み出てくるように描かれている。
それを見るに、我々が憧れる歴史上の人物たちもその本質は、「本意ならざる決断」を強いられた、「悩み多き人間」であることに、変わりはないと言えようか。